わたしの身体に追いついて

手紙

だれかへ

一昨日と昨日、 こうして二日もつづけてまとまった文章を書いてみて改めてわかったけど、 わたしは文章がうまくない。 書きたいことが山ほどあるけど気がすすまないとき、 きっとわたしの身体はわたしの文章の醜さをよく知っていて、 だからそんな醜さにわたしが向き合わないですむよう取計らってくれてるんじゃないかって感じる時があるんだけど、 まさにそのとおりだったみたい。

つまりいまわたしはわたしの身体のやさしさに抗って、 自分自身の醜さにずっと向き合ってるわけだけど、 いざそうしてみるとそこまで悪い気分でもありません。 一昨日より昨日、 昨日より今日のこの文章のほうが、 ちょっとだけ良くなっているような気もするし。 醜さにまっすぐ向き合うというのは、 良き変化にも立ち会えるということなんだね。 もう少しはやくこれを試みなかったことが悔やまれます。 なんだかわたしにとってわたしの身体って、 過保護なおかあさんみたい。

あなたには話したことがないように思うんだけど、 じつはわたしは長いことピアノを習っていました。

子供の頃からピアノを習っていたようなひとって、 たいてい人生の節目の時期なんかに辞めてしまうことが多い気がするんだけど、 わたしのばあいは社会人になるまでほぼ休まずレッスンに通っていました。 周囲には中学や高校で辞めてしまったひとが多いから、 じゃあそんなに長く続けたんならさぞ上手に弾くんだろうと思われがちだけど、 残念ながらそんなこともない。

わたしがピアノの先生に言われた言葉でいちばん印象深かったのは、 「良いんだけど、技術が追いついていないような気がするのよ」。 わたしはピアノを辞めてしまったあとも、 文章を書いているときにも、 いや、 どちらかというとまさに文章を書いているときにこそ、 よくこの言葉を思い出した。

先生の言わんとしていることは半分はよくわかるけど、 もう半分がよくわからない。 あなたにはわかる? 

わたしがわかるのは、 ようするにわたしは下手くそだってこと。 譜読みは遅いし、 指はまわらないし、 打鍵も弱い。 それはわかってる。 わからないのはその、 技術に先行しているらしい何かのこと。 技術が 「何に」 追いつけば、 わたしはもっと良くなれるのだろうってこと。

その何かが、 なんとなくわかるようで、 今も掴みきれない。 わたしの身体は、 わたしのそんな何かをいつの間にかずっと感じ取っていて、 だから今もわたしは、 わたしに期待することをやめられない。 自分に失望しきれないというのは、 果たして幸せなことなのか、 あるいは。

それでは、 今日はここまで。
おやすみなさい。

わたしより

追伸 
十日ほど遅れていた生理がやっときました。

あと二、三日ほど耐えれば、 もう少しましな気分で日々を過ごせるようになりそうです。

タイトルとURLをコピーしました