だれかへ
今日の天気もあいにくの雨です。
しかしながら今日の雨は、 いくらか前の手紙で宛先となった、 あのあなたのように物静かでは決してありません。 ただひどく重たくて、 まるでひとを押しつぶすように降りそそぎ、 わたしのくだらないおしゃべりになどまったく耳を貸そうとはしてくれませんでした。
そういった類の雨となんとかその日一日やり過ごさなくてはならないとき、 わたしはとてももどかしい気分になります。 雨が傘を打ちつける音で、 相手の声ばかりでなく自分の声さえうまく聞き取ることができず、 視界もわるくなり、 とにかくやたらめったら張りのある大声を出して、 どうにかしてあなたを蹴散らしてやりたくなります。
それでも、 どんなに大声を出そうとわたしもただの一人間に過ぎませんから、 やっぱりその大いなる自然の抑圧的な態度には一矢報いることすら叶いません。 宛先を失ったわたしの独り言は、 ただ薄暗く文脈を失った世界で、 古ぼけた誰かの足元へと無様に転がるだけだったのです。
さて、 このどうにもへんな手紙を書き始めて、 はや一週間が経とうとしています。
はじめのうちわたしは、 自分の手紙の宛先をうまく想像できないなどとぼやいてはあなたを困らせたものだけど、 一週間経った今も、 実のところそれはあまり変わっていません。
ただ、 面白いことにも気がつきました。
〈手紙の宛先〉、 つまりあなたの名前、 姿形、 性質、 わたしとの関係性などを事細かに想像しようとすると、 むしろ筆は止まってしまうということです。
筆を先に進めるにはそうではなく、 〈誰かに手紙を書いているわたし〉 に没頭しなければいけないのです。 〈誰かに手紙を書いているわたし〉 を演じるのは、 見知らぬ想像上の人間を創造するよりはいくらか難易度の低いことですから。
そしてそういう自分に没頭しているうち、 じつは宛先というのは後から姿をあらわしはじめ、 わたしの言葉に耳を傾けはじめるものだとわかったのです (機嫌の良いときに限っては、ですけど)。
さらに面白いことに、 その宛先とやらは、 たとえ姿をあらわしたにしても、 名前、 姿形、 性質、 わたしとの関係性、 そんなものについては、 ちっともはっきりしないままです。 はっきりしないままにそれでもあなたには、 何か通じ合うものを感じざるを得ない。
あるいはフィクションというものは、 けっきょくはそうなのかもしれない、 と思います。 名前、 姿形、 性質、 わたしとの関係性。 フィクションとはきっとそんな瑣末な事柄が書き込まれる空間でなく、 そうやってのちのち現れでる宛先、 ただそれについてのみ浮かび上がらさせる。 そういう可能性の領域を、 フィクションと呼ぶのだと。
そうこう言っているうちに、 さて、 晴れ間です。
それでは、 今日はここまで。
おやすみなさい。
わたしより


